- 今年も残り少なく、何やら慌ただしくなりました。
そんな中で、これも頂いた本ですが、歌集『生命萌えたつ』(関根キヌ子)を読みました。
出版した西田書店は雑誌「あとらす」のご縁で、編集担当の関根則子さんにはいつもお世話になっていますが、本書の著者は彼女の母上です。
2.関根キヌ子さんは、昭和18年1月生まれ。
福島県東白川郡の鮫川村で、「水稲の栽培、それに和牛の飼育を行う農家で、いつも忙しさに追われる様な生活をしていました。
ある時過労から倒れて休んでいる時、(略)こんな暮らし方ではいけないとつくづく思いました」。
幸いに村には「文芸クラブ」があり、入会して平成10年から作歌を始め、以来20 年以上詠み続けた約650 首をこの度一冊にまとめました。
歌作の場となった村の「文芸クラブ」は、実に昭和19 年から続いているそうで、そのことにまず驚きました。
人口4千人ちょっとの小さな山村の文化レベルに感心し、そういう日本の農村の姿に誇りも感じます。
3.歌の一つ一つからは、農業に取り組み、村議を務めた夫を支え、見送り、6人の子どもを育て、曾孫まで生まれる「生」が鮮やかに浮かび上がります。
「二人して牛のお産を待つ夜更け、 カッコウ鳴きてなきて飛びゆく」
「長雨の続く田ン圃の畦に立ち、 実り豊かな秋をと祈る」
詠まれる里山の情景や風物にも惹かれました。売られていく仔牛との別れ、稲架(はさ)を組み上げる作業など日々の労働の情景も眼に浮かびます。
夫が死去しても農業は続けます。
「稲架づくり稲刈り機械操るも、いつか余裕の農婦となりぬ」
「形見なる刈払機を背負いつつ、百メートルの畦を刈りゆく」
「大いぬのふぐり」「シャラの花」「のうぜん(凌霄)」などの草花が、都会育ちには新鮮です。
「炎(ほむら)たつ如く咲きたる凌霄の、朱色の花に亡父(つま)を重ねる」
4.他に心に残った歌二首をあげると、
「消しゴムを使えぬものが人生と、さとせし父に心かさねる」
「徹夜してパール・バックの『大地』読みし、あの頃の目の力欲しけり」
本の名前が出てくるのは、この一冊だけ。
いかにも農業に一生を捧げている女性が挙げるのにふさわしい本だと思いました。
パール・バックは、戦前、宣教師の父の許で中国に長く暮らし、この地で苛酷な農業に従事し、たくましく生きる人達を描いた小説『大地』を書いて、1938年ノーベル文学賞を受賞しました。
戦後には邦訳も出て、日本でも評判になり、私も学生時代に読みました。
5. 「中学校しか出ておらず、素人の作だが」と謙遜する則子さんはメールに、
「頭で作った歌ではなく、生活に根差した、血の通ったものになっているところが、
よいところだと思っています」
「溢れんばかりの土の匂いが、ただただ懐かしく読み入りました」
とも書いてくれました。
「本なんて、そんな金かかることするな」と言う母を説得して出版にこぎつけたそうで、さぞ親孝行になったことでしょう。
- 著者は、終戦の年に2歳半。戦争の悲惨を伝える歌が幾つもあります。
「忘れるものか決して許してなるものか、悪の極みの戦さ生むもの」
「飛行機が来たならすぐに隠れよと、未だ忘れぬ二歳半の記憶」
日本の戦争時の空襲の恐ろしさを実体験として覚えているのは、関根キヌ子さんの世代が最後で、やがて誰もいなくなるでしょう。
今年は、幼い頃の戦争の悪夢を思い出し,ウクライナの人々の苦難に思いを馳せつつ過ごした1年でした。