- 3日間の日程を終えて5月21日に閉幕したG7サミットについては、議長国日
本のメディアは大きく報道しました(海外の報道は予想以上に小さかったと思います)。
- 以下は一庶民のささやかな感想ですが、まずは24日付の毎日新聞、元村有希子
論説委員の感想です。
―「歴史的なサミットが終わった。
被爆地・広島に初めて主要7カ国(G7)のトップが顔をそろえ、原爆の犠牲者を悼んだ。戦争当時国ウクライナから大統領が駆け付け,(略)世界が注目するイベントとしては成功だったと言える」。
「しかし、私の中でくすぶり続けたのは、「ヒロシマ」という舞台の価値が利用され、消費されただけではないか――という(略)感情だった」。
と続けて、
「目に見える成果もあったとはいえ、その全てが、広島の人々の平和を願う気持ちに応えるものだろうかと考え(ていたところ)、カナダから来日した被爆者のサーロー節子さんが(略)批判したと知って、その思いは強まった」。
ただ、影響力は衰えたとはいえ主要7カ国の首脳が原爆資料館を訪れ、慰霊碑に献花をした。インドを含めた8つの招待国もウクライナの大統領も、同じ行動をとった。被爆者の話を聞き、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんが残した折り鶴の複製品を受け取った――これらのことには感慨を覚えました。
海外のメディアももっと報道してほしかったと思います。それがきっかけになって、少しでも多くの「普通の人々」が原爆資料館を訪れることを願います。
- そんな気持を持ちながら毎日新聞をいろいろ読みました。
23日の記事は、「22日、首脳たちの来訪に備えて18日昼から休館していた原爆資料館は4日ぶりに再開し、多くの人が見学に訪れた」
「資料館前では数十人が列をつくって午前8時半の開館を待った」
として、オーストラリアからの観光客夫婦の「戦争に怒りを覚えた。ここでG7サミットが開かれたのは意義あったと思う」と言う感想を伝えています。
はるばる豪州からやってきて、観光に忙しい日程の中にこの訪問を入れる、そんな夫婦もいるのだと思いました。
- 27日の夕刊は、「大切なのはこれから後」との見出しで、外国人に向けてボランティアのガイドを毎日続ける77歳の三登(みと)さんを紹介しました。
(1)「原爆で左脚を失いながら車椅子で証言活動を続けた沼田鈴子さんに感銘を受け、高校の英語教員を退職後にガイドを始めた」。
(2)「今年4月までに案内した外国人の累計は、176カ国の9万2000人余りに。活動は海外でドキュメンタリー映画にもなった」。
(3)記事は最後に、三登さんの言葉を紹介します。
「帰宅すると1通のメールが届いていた。「あなたのメッセージをニューヨークに戻ったら広めたい」。22日にガイドしたアメリカ人学生からだった」。
6.原爆資料館は、戦争の残酷さ・悲惨さ・愚かさを痛切に感じさせる場所の一つと言えるでしょう。
だからこそ、「普通の人たち」に訪れて欲しいと思います。
「普通の人たち」の思いが最後は世界を動かす、そんな社会であってほしいと願うからです。