今年最後の蓼科と、男性合唱を聴く

  1. 先週は蓼科に4泊しました。今年最後の滞在で、水を抜き、家を閉めて帰京しました。

(1) 紅葉は盛りです。もみじ、どうだんつつじ、落葉松、と色とりどり。

(2)八ヶ岳は、到着当日はまだ雪もなく、2日後に冠雪しました。

(3)行きつけの蕎麦屋に寄って、挨拶もしてきました。

ここは昼だけで、メニューはもりと蕎麦がきしかありません。無口な主人と明るい女将さんのコンビで、女将さんは5月に転んで大腿骨を折りました。しかし意志強固でリハビリを懸命にやって、「無罪放免になった」と喜んでいました。

(4) この日の自宅での夕食には、燗酒を少し。

「晩酌は五勺ほどにて世の嘆きはやわが身より消えむとぞする」(前川佐美雄)。

  1. 出発の前日は、アマチュア男性合唱団のコンサートに行きました。

メンバーは80歳前後。主体は慶應義塾大の名門合唱団ワグネル・ソサイエティのOB です。サントリーホールで、400席の会場は満員でした。

 

(1)コロナでお休みの間に、亡くなる人を含め、メンバーが減りました。

(2) 指揮者のY君はワグネルのかつての名テナーですが、私の中高の同級生でもあり、急きょ、同じ同級生から歌えそうな仲間に声をかけたところ、4人が手を上げました。

(3)その結果、今回晴れて、23回目、3年ぶりのコンサートが実現できました。

感無量だったことでしょう。

  1. 「助っ人4人」の1人に私の妻の兄S君がいます。

ということで、当日、妻とサントリーホールに足を運びました。

(1) コンサートは、聞き慣れた曲が多く、楽しかったです。

 4部構成で最後は「旅を想って」と題して、「青い山脈」「旅人よ」「いい日旅立ち」などなど。

歌う前には簡単な解説もしてくれます。

「遠くへ行きたい」(永六輔作詞、中村八大作曲)のときは、「1962年、ちょうど入社した年で、まだ海外旅行は夢でした。私も「知らない街を歩いてみたい」と思っていました」と語りました。

私も同年入社です。同じ思いだった新入社員時代を懐かしく思い出しました。

(2) 帰宅してから、S君に早速お礼のメールを出し、

妻は、「「堅苦しいコンサートではなくて同窓会のような和やかな雰囲気で曲目も馴染みのものが多くてとてもリラックスして楽しかった」、

私は、「満員の聴衆を前に、白と黒のタキシード姿のおじいさん、恰好いいなと

思いながら眺めていました」

と、感想を述べました。

 

(3) 皆さん、かつては、高度成長のもとで体をすり減らして働いた社会人だったことで

しょう。退職後のいま、趣味を生かして日々を楽しんでいる、幸せな人たちです。

  1. S君からは、

(1)「素人の爺さんたちの道楽ですから、そう出来は良くないですが、入場料を頂かないことに免じて大目にみてください」という返事が来ました。

 

(2) それでも猛練習を重ねたようです。そして、この日は「リハーサル、本番、打ち上げ会と朝から晩まで大変で、くたびれました」。

おまけに、「次は来年4月のモーツアルト「レクイエム」に挑戦です。大曲だけになかなか手強く、手こずっています」とあります。

 

(3)彼は、昨年は「第九」の合唱にも2回参加しました。

決して健康万全ではなく、病いで手術をした身でもあります。

「年たけて、また越ゆべしと思ひきや、命なりけり小夜の中山」、西行の歌を思い出しました。

S君も「レクイエム」に向かって、越えていってほしいものです。

私も、来年4月「また越ゆべし」か?と思いつつ、今年の蓼科との別れです。

頂いた『キリスト教美術史』(滝口美香、中公新書)を読む

  1. 中公新書の9月刊行、『キリスト教美術史、東方正教会カトリックの二大潮流』

(滝口美香著)を読み終えたところです。貴重な読書体験でした。

まずは、帯にある本書の説明文を紹介します。

ローマ帝国下、信仰表示や葬礼を目的としたキリスト教美術が成立。

やがて4世紀にローマ帝国が東西に分割されたことによって、二大潮流が形成される。一方は、1000年にわたり不変の様式美を誇ったビザンティン美術、もう一方は、(略)変革を続けたローマン・カトリック美術である。

本書は、絢爛たるキリスト教美術の歴史を一望。100点以上の図版をフルカラーで解説する」

 

2.贈って頂いたのは、著者の母上、滝口俊子先生です。宇治市京都文教大学でご一緒しました。放送大学名誉教授。臨床心理学が専門で、河合隼雄の愛弟子です。

 お嬢様もやはり学者ですが、専門はまるで違います。ロンドン大学コート―ルド研究所で博士を取得し、明治大学准教授、専攻はビザンティン美術史です。

 博士論文を主に、豪華な2冊の書物にまとめて2012年&18年に出版、これらも頂戴しました。

 今回は新書ですから、多くの人が手軽に眺めて楽しんでくれたらよいなと思います。

3.以下は、ささやかな感想です。

(1) 本書には、100点以上のカラーの図版があります。

そして最近はインターネットでも検索できるので、さらに大きいサイズで見られます。お陰で、「図像」についての著者の説明を、取り込んだPCから細部にわたって確認することが出来ます。

時間はかかりますが楽しかったです。

インターネット時代の読書の新たな楽しみです。

(2) キリスト教美術といっても、ビザンティンとカトリックの違いに加えて、時代や地域によって異なることを認識しました。

カトリック教会の美術は、時代の変遷とともに大きく変化していきます。

一方正教会の美術に、そのような大きな変化は見られません」

著者のこの指摘は示唆的です。

なぜそのような人間の精神構造の違いが生れたのか、興味深いです。

ビザンティン文化の保守性は、いまのロシアという国のあり方にも繋がっているのかもしれないなどと考えました。

(3) キリスト教美術と教会などの建築との深いつながりについても認識を新たにしました。

その点で、「第六章ゴシック美術」はとくに面白く、中でもシャルトル大聖堂のステンド・グラスの説明は興味深かったです。

 

(4) 昔、NYやロンドン勤務の折、欧州大陸を含めて美術館、教会にも入り、キリスト教美術に接する機会はそれなりにありましたが、全く不勉強で、ただぼんやり眺めていただけでした。

 例えば、イタリアルネサンス期の画家による「キリストの洗礼」(下の写真)はナショナル・ギャラリー所蔵とあります。ロンドンにあるこの美術館には何度も通いましたが、何も覚えていません。

(5) 本書は、この絵が、「キリストの洗礼」という同じ題材を描いたビザンティンの絵とどこが違うかを教えてくれます。同時に、絵の背景となるキリスト教や聖書について学ぶ機会にもなります。

 

(6)若かったら、もう一度この本を片手に旅をしたいものですが、年寄りには叶わぬ夢です。

せめて、これからも折に触れて本書を眺め、その度に若かった頃を懐かしく思い出すことになるでしょう。

 

  1. それにしても著者は、どのような経緯でこういう研究に入られたのでしょう。

美術への興味からか、それともキリスト教自体への関心からか、

或いはその両方か。

きっと、研究者としてのご両親の存在も大きかったことでしょう。

 

 

 

 

会社での「さん付け」と先生の「あだ名」

  1. 先週は秋晴れの日、二人で神代植物公園に行きました。いまは秋薔薇が盛りです。 

  1. 前回は、新入社員になった孫の話でした。

(1) 中学・高校の6年間一緒だった岡田・Masui両氏からコメントを頂きました。

よく働いた若い頃を思い出して頂いたようで、嬉しいです。

「「社風の良いのが一番」という点は心の底から同感です」とあります。

 

(2)「良い社風」といっても「何が良いか」は会社によって様々でしょう。

私の昔の職場であれば、誰もが、男女や年齢や役職の別なく、第三者を呼ぶときも面と向かっても「さん付け」が当たり前だったことが、自由に物が言える雰囲気を作っていたと思います。

最初から最後まで、「課長」だの「部長」だのと役職で呼んだことも呼ばれたこともありませんでした。

 

(3) もう一つ、社員数が少ないせいか、家庭的な雰囲気があったと思います。

懐かしく思い出すのは、毎年秋、多摩川沿いのグラウンドで行われた総合運動会です。本部の各部署や現場の支店ごとに対抗試合が行なわれて、応援合戦も賑やかでした。

 園遊会を兼ねてもいて、家族を連れてきます。当時は社宅に住んでいる人が多く、また海外では家族同士顔なじみになる機会が多いため、運動会は皆さんとの交流の場でした。

(4)私は支店の現場勤務は短かったのですが、これがけっこう楽しかったです。

当時はのどかな時代で、正月3日の休みが明けて4日の営業開始日には、女性たちは和服姿での出勤が多く、華やかでした。

  1. 以上、人様には面白くもない思い出話で恐縮です。

(1) 孫の会社も徹底した「さん付け」だそうで、その話を聞いたのでつい昔の会社をいろいろ思い出してしまいました。

孫息子は中高の6年間私と同じですが、「生徒同士では先生を「さん付け」だったので、会社に入ってもすぐに馴染めた」と言っていました。

(2) 私の時代は、生徒同士では先生をあだ名で呼ぶ方が普通でしたが、今はあだ名では呼ばないと言っていました。

私の息子(孫の父親)も同じ中高です。先週たまたま我が家に来てくれたので、お喋りの中で訊いたところ、彼の時はまだ「あだ名」が普通だったそうです。

 私のときの先生で、カッパやハリパン(張り切りパンツの略で体操の先生)は、彼の時にもやはり在籍だった。

 息子から孫へと時代が変わり、学校で先生や同級生を「あだ名」で呼ぶことはおそらくどこでも減ってきた。無意識に相手を傷つける可能性があるかもしれないという危惧からでしょう。

(3) 息子と話を続けて、

「オチンという日本史の先生知ってるか?」

「知らない、僕の時はもういなかった」

そこで以下、つまらぬ思い出話を披露しました。

―同級生の母親が保護者会に出るために学校に行った時のこと。担任の先生の名前を忘れてしまい、「会」の場所が分からない。ただ、あだ名は息子が家でよく言っているので覚えている。そこで、通りかかった生徒に「オチン先生の本名をご存知ですか?」と訊いたところ、「ああオチンですか」と言って教えてくれたー。

某君の母親は、その話を何度もしては「あんなに恥ずかしい思いをしたことはなかった」と繰り返したそうです。

(4) 最後に、真偽は分かりませんが、あだ名の由来を披露すると、

「フンドシ」というあだ名の先輩の先生がいた。若いころ、オチンは何か失敗をしてフンドシ先生にかばってもらったことがあった。以来このあだ名を頂戴するようになったという話でした。

 品の悪い話で恐縮です。

 

孫と3人の「でらうまかった」夕食会

  1. 東京に戻って10日、体調徐々に戻り、近くの大学への散歩も始めました。

キャンパスでは元気な若者を見かけます。銀杏並木はまだ緑で紅葉は1か月先でしょう。

若者と言えば、先日は孫と3人での夕食会がありました。

彼は4月に新入社員になりました。ささやかな初任給でしょうが、祖父母に食事を奢ってくれるというので、有難く受けました。

  

  1. 場所は、彼がスマホで検索して「いちど行ってみたいと思っていた」鮭殻

荘という変わった名前の魚介ビストロの店で、JR恵比寿駅からすぐです。

 

(1)この日は、早めの夕食だったせいもあるのか、お客は我々一組だけで、ゆっくり会話もでき、白ワイン2本とアクアパッツァなどおいしく頂きました。

(2)最近はこういうお店は、注文もタブレット経由が増えてきたのではないでしょうか。注文をロボットが運んでくる店まで出てきました。

   

(3)1か月ほど前、蓼科で久しぶりに近くのイタリアンに行ったときに、注文はタブレットからに変えたと言われました。

この方が気楽で情報伝達も早いと歓迎する若いお客も多いかもしれませがが、我々はまごつきました。もっともお店も親切で、口頭で助けてはくれました。

  

「寿司屋のカウウンターや蕎麦屋がこうなったら侘びしい」と皆の意見は一致しました。

 

3.「鮭殻荘」は幸いにデジタル対応ではなく、ウェイトレスの女性ともいろいろお喋りしながら過ごしました。

(1) 料理も親切に教えてくれます。「安くておいしい白ワインを」と言ったら、まだ19歳だそうでお酒は飲んだことがないと言って、女性の店長さんが出てきてくれました。

 

(2)私は、料理を注文しながら店の人と無駄話をするのが好きな方です。相手がデジタルではそうは行きません。

(3)幸いにこの日は彼女も我々しか応対するお客はおらず、アナログな会話を楽しみました。名古屋から出てきて目下美容師になるべく勉強中で、この店でアルバイトをしているそうです。

 「でら~」という名古屋弁を教えてくれました。我々3人誰も知りませんでしたが、名古屋では何でも「でら~」を付けるそうです。「でらうまい」とか言うそうです。

 

  1. ということでお店の話で長くなりましたが、孫は幸いに大学生から社会人への変化をまず無難に過ごしているようです。

(1)新入社員は46人でうち女性は17人、ご多聞にもれず優秀でやる気のある女性が多い。

(2)研修を終えて、社内事業部というところに配属されて、1年間は残業もなく、定時の6時に帰れる。

 彼は毎日出社しているが、希望すれば自宅でリモートの勤務も可能。

服装もネクタイや背広は不要、ラフな格好でOK.

(3)業種も異なりますが、60年も昔の私の新入社員時代とはずいぶん変わりました。

私であれば、最初の年から残業はありました。

何せまだ週休二日制ではなく、土曜も午後2時まで勤務。銀行ですから、12月31日まで働き、おまけにこの日は外為のドキュメントが商社から遅くまで持ち込まれるので忙しいです。紅白歌合戦の時間に帰宅したことはありませんでした。

(4)それでも会社の雰囲気は良く、大晦日、輸出ドキュメントを扱う仕事では午後8時ごろになるとどこかのお客さんから一升瓶の差し入れがあり、ねじり鉢巻きにちびりちびりやりながら、仕事を続けました。

(5)仲間の一体感のようなものがあって、良い雰囲気の職場でした。

4.社風の良いのがいちばんだという話を孫にしましたが、彼も幸いに雰囲気に馴染んで働いているようで、それがいちばん安心しました。

蓼科の秋深まり、稲の刈り入れの時期です。

  1. 先週は信州茅野に、4泊5日の短期滞在しました。

この時期は稲が実り、刈り入れも始まり、美しい里山をどうしても眺めたくなります。

 

2.10 月1日の土曜日に出て5日(水)に帰京しましたが、行きの中央高速は渋滞でした。週末の人出が増えているようです。

最初のサービスエリア「談合坂」まで倍以上の時間がかかり、入り口も1キロの渋滞。私を含めて、トイレに行きたい人たちの行列です。

5日後に東京に帰る朝は、高速に乗るまでは霧が深く、乗ったらずっと雨でした。

3.現地滞在している間は、晴れて暖かな日が多かったです。

東京では夫婦そろって体調いまいちでしたが、田舎に来てだいぶ回復しました。人も車も少なく、空気も乾燥しています。

帰京して渋谷に出て、人の多さだけでなく、「歩く」スピードに改めて驚きます。私のような老人は時々ぶつかりそうになります。

これが「現代社会の速度」なのでしょう。

4. 茅野は刈り入れ直前の田と終わったばかりの田が両方見られる時期です。

ご夫婦で刈り入れをしている最中にも出くわし、邪魔だったでしょうが、しばらく立ち話をしました。

 収穫機(コンバイン)で作業は楽になったが、コストも増えた・・・などなど話を聞きました。

「地域に根差した食と農」は社会の基本のあり方で本当に大切ですが、専業農家では暮らしも厳しいでしょう。   

すでにスーパーには新米が出ていて、「長野県産コシヒカリ」を手にしました。

5.秋も深まり、木々も少しずつ紅葉してきましたが例年より少し遅れています。

 

(1)  数少ない友人にも会います。この地で知り合い、ここでしか付き合わない人が多いです。

とうぜん高齢者が多く、「また来年」と言って別れて、翌年にはもう姿を見せないという方もおられます。

 

(2) 次世代への継承がうまくいけばよいのですが、そうでないと、ある日とつぜん来られなくなり消息も分からないという夫婦がおられます。寂しいけどやむを得ません。

(3) 一軒、人の姿はなく、駐車してある車がそのままになっているお宅があります。今年も散歩の途中に通りましたが、家は相変わらず無人、埃がたまった車はもう3年そのままです。気になりますが、面識のない方なので何が起きたか分かりません。

 

  1. 一方で、20年ほど住んだお宅を譲渡し、運転免許も返上し、すべてきれいに整理

して、東京暮らしだけの日々に戻った方もおられます。

このように決断できる人は立派ですが、たいていがもう少しと頑張っているうちに、突然来られなくなってしまうのでしょう。

 

  1. まだ頑張っているHさんと、今回の滞在でも会いました。

 彼は私と同い年で、退職して田舎暮らしを続けました。この地をこよなく愛しています。

すい臓がんがみつかり、「早期なので、いまなら治る、しなければ余命は3年」と手術を勧められました。

ところが、彼は「もういい年を生きたから」と手術を断りました。担当医は機嫌を損ねたそうですが、私は立派な覚悟だと思い、尊敬しました。

この夏に3年を過ぎたが、さいわいまだ病人にしては元気で、散歩も外出もしています。医者の誤診だったらよいのですが。

 

8.妻と二人でお宅に寄り、堀ごたつのある、窓から紅葉や落葉松が見える和室で暫くお喋りをしました。

「遺言を書こうと思うのだが、まだ、なかなかその気になれない」と語るのを聞きました。

「来年も来られるかどうか。お互いに何が起きるか分からない。今日がお別れかもしれない」とサヨナラしました。

---「明日ありと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」

 

『僕たちのバルセロナ』が遺作になった田澤耕氏

  1. 8月末のブログで、『僕たちのバルセロナ』を紹介しました。

『僕たちのバルセロナ』(田澤耕、西田書店、2022)と岡田さん - 川本卓史京都活動日記 (hatenablog.com)

 

  1. 著者の田澤耕さんは9月24日死去しました、69歳。本書が遺作になりました。

  友人がカタルーニャ友好親善協会の知らせを転送してくれました。

 「奥様からは、「全く苦しまず、穏やかな死でした」とお聞きしています。

先生には協会活動に多大なご貢献いただき、言葉にできないほどお世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです」。

3.新聞の訃報は朝日新聞が早く、28日付に載りました。一面の見出しは「賛否の中 安倍氏国葬」です。

日本のカタル―ニャ文化・言語研究の第一人者です。

東京銀行に入行し、語学研修性として派遣されてバルセロナの大学で学び、一生の仕事としてカタルーニャ研究者の道を選び、8年勤めた銀行を退職しました。

 

4.今年の春に、がんの余命宣告を受けてからも精力的に活動し、6月に『カタルーニャ語、小さなことば、僕の人生』(左右社)を刊行。

  続く『僕たちのバルセロナ』の校正を終え、病を押してバルセロナに旅し、講演や取材に応じました。

西田書店の日高編集長は、「存命中に本書を発刊したい」と頑張り、彼の帰国後の7月20日に完成、2か月後に他界しました。

 田澤氏の、余命を知らされてからの活動は見事なものでした。

5.ブログでは、京都に「バルセロナ文化センター」があることも紹介しました。

祇園町会長の岡村さんが、センターまで出向き、センター長のロザリアさんに会い、

ワークショップにも参加してくれました。その親切さに頭が下がります。

死去を知らせたところ、早速ロザリアさんに会ってくれて、こんな返事を頂きました。

カタルーニャ語の授業中にもかかわらず出てこられ、彼女も昨日知ったそうです。田澤先生には大変お世話になり、思い出を語る会を開きたいと語り、大変慕われていたことが伺えます」。

京都でカタルーニャとの輪が広がるのは田澤氏が知ったらさぞ喜んだでしょう。

 

6.かつて同じ会社で働いた14歳も年下の死は残念ですが、立派な一生だったと思います。

無論本人の努力と情熱の賜物とはいえ、少なくともきっかけは東京銀行があればこそと改めて思いました。

 

7.そんなところへ、もう50年近く昔に同じ職場で働いた女性から連絡がありました。当時、私は30代半ば、彼女はまだ20代でした。

 

(1) 友人との勉強会で、カズオ・イシグロの『日の名残り』について調べる必要があり、いろいろ検索したところ、私の9年前のブログを見つけた。

 

(2) 京都の株式会社カスタネットといまも繋がりがあることが分かったので、同社に照会、同社から私に連絡があって、交信が可能になったものです。

(3)古いブログがまだPC上に残っていて、それを見てくれる人はたまにいますが、それが今回はかつての東京銀行の同僚だという偶然にびっくり。

(4)ということで、長いメールのやり取りで、しばし昔話を楽しみました。

彼女は5年しか勤務しなかったのですが、楽しく働いたようです。

昔のことをよく記憶しているのに感心しました。「何人かでご自宅にお邪魔した時に川本さんそっくりの息子さんにお目に掛かり皆で「コピー」みたいと盛り上がったことも。・・・いまも覚えているのが可笑しいです」。

(5)この「息子」はもう55歳のおじさんです。

私は家に招いたことなどすっかり忘れていました。しかし、こういう和やかな機会が珍しくない雰囲気の職場だったな、とこれまた懐かしく思い出しました。

エリザベス二世の葬儀と立憲君主制のこれから

1.19日の英国女王の葬儀の模様をテレビで眺めました。

(1) 国民の40%以上が視聴したそうです

 (2)厳かで華やかな行進が続き、沿道に集まった人々の多さを見ながら、雨の多いロンドンでこの日降らなくてよかったなと思いました。

それと無粋な話ですが、高齢の出席者も多く、手洗いに行きたくならなかっただろうかと余計なことを心配しました。

(3) 天皇にとっては懐かしの英国でしょうが、即位後初めての海外訪問がこういう機会になるとは悲しい別れだったことでしょう。

ともかく、無事に終了してよかったです。

  1. BBCは、

(1)「厳粛かつ壮観で、強烈な印象を与える歴史の一齣だった」と評しました。

(2) 「棺を担いだ兵士が通路をゆっくりと歩く姿に、今ここで、目の前で、一歩一歩、時代が終わっていくのを実感し、生涯忘れることのない出来事だった」とも。

(3) また、「誰が出席してどこに座ったか?」と題する記事もあり、写真入りで詳細に教えてくれます。天皇皇后は前から6列目で、欧州の王族たちの後ろ、マレーシアやヨルダンの王様の傍、米国やフランスの大統領夫妻は、反対側の後方です。

3.ということで、改めて君主制について考えました。

(1)そもそも、いま「君主国」はどのくらい存在するか?

サントリー学芸賞を受賞した『立憲君主制の現在、日本は「象徴天皇」を維持できるか』(君塚直隆、新潮選書、2018年)を参考にします。

 

(2)君主国といっても議会制民主主義に基づく「立憲君主制」のほか、中東のような「王朝君主制」を含めて、

「29か国。これに英国君主が名目的な国家元首を兼ねる(豪州・NZのような)英連邦王国を合わせても43か国であり、国連加盟国の5分の1に過ぎない」

 

(3)「君主制国家は少数派である」。しかし「とくに立憲君主制において、国民が豊かに暮らしている国が多い」と君塚教授は指摘します。

  1. 英国の週刊誌エコノミストは、自国の君主制をどう考えているか?

(1) 9月17日号は、「アフター・エリザベス」と題する論説を載せました。

君主制は時代錯誤である。ところが、繁栄した。このことは、彼女の後継者や他の民主主義国にとっても教訓を与えてくれる」と始まります。

 

(2) 繁栄の理由としては、

・女王自身の個人的な資質と努力、強烈な使命感。

・かつてのエコノミストの名編集長バジョットの見解、すなわち「威厳ある」君主部門と「機能的な」政府・議会部門との両立が英国憲法の基本である。

君主制が、継続性を維持し分断を避ける観点からは大統領制に勝る。

――以上3つの理由をあげます。

(3)その上で、新国王チャールズ3世を待ち構える前途は多難である。しかし、「幸運にも女王が正しい道筋を示してくれたことに期待しよう」と結びます。

 

  1. 面白いのは、英国の王制について同誌は度々記事にしますが、論調はいつも変わりません。

(1)まず、「そもそも論からは正当化できない」という立場を明確にします。

「生まれながらの特権に根ざした不合理な制度であり、多様性や平等、実力主義とは相いれない。君主制への支持はエリザベス2世のもとで揺らぐはずだと本誌は考えた」と述べます。

 

(2) ところが、そこから一転して結論は、「英国ではうまく行っている」。

存在価値は大きい。

同誌の主張はこのようにいつも同じで、この独特の両論併記的な論調が他の英国メディアと異なります。

(3)   それにしても日本人は、天皇制をどう思っているでしょうか?