canary-londonさんのコメントは、ほとんど私の問題意識と重なり、興味深く読みました。
読んでいて思ったのですが、バイリンガルとは、そもそも同じ語系の中での概念ではないのか、日本語はこの言葉の本来の定義からはみ出ているのではないかということです。
いま「現代社会入門」や「アメリカ企業論」やゼミで、「社会起業家」について若者に語りながら、「アントレプレナー」を「起業家」あるいは「企業家」と訳すことに、いつも違和感を感じ、悩んでいます。
アントレプレナーとは、「機会」を見つけて挑戦することを評価する社会、その結果(成功でも失敗でも)を全て自分の責任として引き受ける社会、しかも(成功しても失敗しても)留まるのではなく、移動し、再度挑戦することを評価する社会、そういう文化を前提にした概念ではないか?と考えるからです。
コミュニケーションやリーダーシップがいまだにカタカタ語で使用されているように、マーケティングやイノベーションも、おそらく今後もカタカタ語として生きるでしょう。アントレプレナーも同じではないのか?
イノベーションであれば、それは「中心」と良き均衡を保った「周辺」や「辺境」があること、或いは、渡辺靖教授の使う言葉を借りれば、「カウンター・ディスコース(対抗言説)」が強く存在する社会であること、を前提にした概念ではないのか。
日本語と英語の間をうろうろしながら、昔読んだ、言語学の入門書を引っ張り出して拾い読みをしています。
例えば『教養としての言語学』(鈴木孝夫、岩波新書、1996年)は面白い本ですが、その第5章「「言語干渉」からみた外来語」には、外来語による影響に6つの類型があると説明し、その1番目に「追加=欠如を補う」をあげ、以下のように述べています。
・ ・近年一般の人も使い出したアイデンティティという語なども、この追加の例とすることが出来る。いろいろな人によって、自己同一性とか自己固有性などと日本語に訳する試みがなされているが、どれもしっくりせず、結局はこの発音しにくい外来語が一般に定着する気配を見せている。それは日本文化の中にもともとこのような概念が欠如していて、したがって表現もなかったためと考えられる・・・(213頁)
「追加」は、もっと手近な例をあげれば、バターやチーズであり、日本語→英語であれば、SUSHI, ZEN, MANGAなどがそれに当たります。
今回は本当は、NEWSWEEKアジア版の最新号(2月11日号)が「世界に新しい食の首都が誕生(The New Food Capital of The World)」という、例のミシェランの東京のレストランを始めて格付けしたという記事をたいへん面白く読んだので、これを紹介しようと思ったのですが、紙数が無くなりました。