6月は病院、展覧会そして福沢諭吉の「帝室論」

1.今日で6月が終わり、今年も半分過ぎました。

f:id:ksen:20190530120429j:plain(1)この1ヶ月を振り返ると、年相応に病院行きがありました。友人の絵を観にいったりもしました。今回はそんな「散歩」の記録です。

まずは、友人の見舞いに武蔵小杉の病院に行きました。川崎の殺傷事件の直後で、死傷者が運ばれた病院の1つです。

友人は肝臓にがんができて手術したのですが、幸いに早期発見で転移もまったくなく、抗がん剤の必要もなく、切って終わりだったそうです。

(2)術後も順調で、当初2~3週間の入院と言われたが、10日で退院、その前日に見舞いに行きました。まずは不幸中の幸いと言えましょう。

話をいろいろ聞いて思ったのは、基礎体力が大事だろうということです。彼は中高時代は山岳部、大学では水泳部に属し、鍛えた体です。それだけに回復も早かったのでしょう。

(3)手術をするにも体力が要る。入院してまず2日間は検査。そこで手術に耐えられるかどうかを調べる。従って、80歳の高齢者の場合、医者から「手術しましょう」と言われたら、それだけでまず「合格」と考えてよい、という話でした。

私であれば、若いときに鍛えていない軟弱者なので、おそらく手術には耐えられないな、と改めて感じました。

(4)その私の方は、本郷の東大病院まで肺の定期健診に行き、3時間以上待たされ、それだけでくたびれて帰宅しました。久しぶりに赤門を眺め、三四郎池を散歩しました。

f:id:ksen:20190605141845j:plain2.友人の絵は、1つは六本木の国立新美術館の「日洋展」。

(1)彼が100号の大きなのを描いて入選したという案内を貰い、観に行きました。大作が600点ほど並んでいる大きな展覧会です。

友人の絵は「聖ビクトワール山の夕焼けと孫」と題して、南フランスのプロバンスにある山の景色。

行ったことはありませんが、セザンヌが何十枚もこの山の絵を描いたことで、よく知られます。平地にこれ1つだけ「馬の背のように延びる全長18キロの石灰岩の山で」(ウィキペディア)、高さ1011メートル、19メートルの高さの十字架も立っている由。

(2)絵の巧い下手は一向に分かりませんが、いい趣味だと羨ましいです。題名を見て、絵を眺めて、作者が描きたいと思った気持ちや体験や物語を想像したりすのが好きです。

例えば、女性の作品で、庭先に紫陽花の花がみえる室内に車いすが置いてある風景は、「かえらぬ日」と題されます。絵に登場しない人物は、母親と介護する娘でしょうか。母親はもう庭に出ることはできないが、車椅子から紫陽花を眺めるのが好きだった・・・・

f:id:ksen:20190605134315j:plain――「今年も咲いたわね」

「雨によく合う、梅雨時らしいしっとりした花ね」

そんな会話を交わした「かえらぬ日」を思い出している女性がいる。――

そんな想像をしました。

(3)海外を題材にした絵も多くあります。

友人の絵もその1つですが、「シェイクスピアの生家」「ブルージュ」「ベネチア回想」などなど、2割ぐらいが海外の風景でしょうか。一人一人の旅の思い出も感じながら眺めました。

ノートルダム寺院」もあり、もちろん4月15日の大火災の前の姿です。

そういえば、最新の「タイム誌」に、6月15日に火災以来初めてのミサが挙行されたという記事が写真とともに載っていました。大司教ほか神父さんが皆ヘルメットをかぶってのミサの写真です。

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(4)もう1人の友人の絵は、お寺の天井に描かれた日本画です。

世田谷の浄土宗のさるお寺が今般本堂を大々的に改装するにあたって、日本画の先生に全部で50枚ほどの天井画を依頼し、友人も弟子の1人として6枚の絵を描いたそうです。家人と一緒に見てきましたが、これまた立派なものです。

本堂も本尊の阿弥陀如来を始め、すべて新しく金ぴかになっていて、これにも驚きました。

いまどき豊かなお寺です。因みに、江利チエミという戦後すぐにジャズ歌手として活躍した人のお墓もあるそうで、銅像も立っていました。

f:id:ksen:20190618110509j:plain5.最後に、6月は学びの機会もそこそこありました。27日(木)には、慶応義塾大の

三田キャンパスに行き、演説館(重文)の前に立つ福沢諭吉の像に挨拶してから、福沢ゼミに参加しました。

今月のゼミは、「三田評論」5月号の特集「『帝室論』をめぐって」をテキストに先生とともに9人で話合いました。そこで、以下、福沢の『帝室論』の話です。

(1)福沢は日本の天皇制について、明治15(1882)年に『帝室論』、明治21年には『尊王論』を書きました。特に前者は、「近代日本における皇室のあり方、とりわけ象徴天皇制を考える上で少なからぬ影響があった」とされる論述です。

論旨は簡単に言えば、以下に尽きるでしょう。

・冒頭に「帝室は政治社外のものなり」(政治には関わらない)と直截に述べた。

・「一国の緩和力」という表現を使って、天皇が学問技芸といった文化の擁護者となるべきことを強調した。

・そのため必要なのは「資本、是なり」として英国などに比べて「帝室の私に属する土地もなし又山林もなし」として、この点を見直す必要を主張した。

(2)書いたのは明治憲法の制定前。彼は本書で大隈重信とともに英国流の「立憲君主制」を主張したが、結局、伊藤博文などを中心にプロイセン型の憲法が制定され、彼の主張は入れられなかった。

f:id:ksen:20190124132205j:plain(3)しかし、戦前でも昭和天皇は皇太子時代にヨーロッパを歴訪し、とくに英国のジョージ5世(エリザベス女王の祖父)に親しく応接し、英国流の「立憲君主制」を学んだ。しかし、軍国主義に突き進む日本は「神聖天皇制」の方向へと突き進んだ。昭和10年代には「慶応の学生向け副読本に本書が入っていたのが、検閲で時局にそぐわないとして削除を要求された」。

(4)「敗戦を経て憲法が変わり、戦後、本書が再び注目されるようになる。

昭和21(1946)年には、小泉信三(元慶応塾長)が皇太子(いまの上皇)の教育掛になり、福沢の『帝室論』を用い、ジョージ5世の伝記も一緒に読んだという。

小泉は「皇室が民主主義と矛盾しない、同居可能だということを語る根拠」を『帝室論』に求めていったと思う、と都倉慶応准教授は述べるし、楠上智大教授はこう書く。

「戦後、小泉が説いた象徴天皇の真髄を提供したのはもちろん福沢諭吉であるが、それを戦後の文脈に当てはめ、見事に紡ぎ直したのは小泉信三の功績である」。

6.ゼミでは、こういう評価について、戦前の福沢の思想と戦後の国民主権のもとでの象徴天皇制とを直線的に結び付けるのはやや短絡的すぎるのではないか、という意見も多く出ました。

しかし、いまの上皇の思考と行動とに、「帝室論」と英国流の立憲民主主義の思想とが影響を及ぼしている、そしてそれを教授したのが小泉信三であり、その基にあるのはジョージ5世の存在だった、という指摘は、納得できるように思います。

とすれば、そういう上皇の思考が、いまの新しい天皇に継承されていくだろうか?誰によってどういうチャネルで(いまは教育掛という存在はない)伝わるだろうか?というのは興味あるところです。

個人的には「皇室が民主主義と矛盾しない、同居可能だ」という、福沢諭吉小泉信三のチャネルで上皇に伝えられた思いが、新天皇にも継承されていってほしいと願います。しかしそれは、いまの右翼・日本会議そして自民党保守派の思想とは合わないのではないか・・・・。そんな懸念を皆で共有しながら、先生(前の福沢諭吉研究センター所長で慶応大教授)やゼミ仲間と話合ったことでした。

 

 

 

 

 

「香港の反乱(Hong Kong in Revolt)」(タイム誌6月24日号)

 

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1.前回の豪州ラグビーの話、藤野さんコメント有難うございます。「4年に1度じゃない、一生に1度」のワールドカップを大いに楽しみにしておられるでしょう。

岡村さんも、京都宝ヶ池球技場にラグビーを見に行った思い出話を書いてくださいました。以下その引用です。

"平尾、大八木、大畑が学生で出場してた頃は特によく行きました。芝生から正面に五山の送り火の一つ「妙」が大きく見える、のどかな所です。南アの一戦でエディー・ジョーンズの指示に従わず、選手達が声を掛け合ってスクラムを選択した由。宝ケ池では激しい攻防と共に選手達の声が聞こえるので、考えている事と何を選択するのか分かるのです。声が聞こえると思うとスクラムトライを狙えと言いたくなるのです。"

「言いたくなる」気持よく分かります。因みに対南ア戦の、その場にいた長女夫婦の話では、この時も,聞こえなくても観衆は一斉に「スクラム!」を叫んだそうです。

若者が運動している姿は、老人には羨ましいです。朝の散歩時には東大駒場キャンパスで野球部の練習風景がよく見られます。

2.ところで、今回は話変わって香港です。

(1)英国「Economist」と米国「Time」の先週号の表紙は、ともに「香港」でした。

前者は「抗議する香港」後者は「香港の反乱」と題して、「逃亡犯条例の改正」をめぐる、英国から中国への返還以来最大規模かつ継続的なデモについて報道しました。

f:id:ksen:20190619112114j:plain(2)香港は、中国の特別行政区で、「一党支配の国と自由世界とを結びつける橋の役割を果たしている。世界で8番目の輸出基地であり、世界4位の株式市場をもち、1300以上の海外企業が地域本部をおいている」

「中国語と英語の両方が公用語であり、自由でコスモポリタンな生き方が認められている。中国本土と異なり、司法の独立や自由度で国際的に高い評価を得ている」。

(3)1997年、英国が香港を中国に返還する時に、中国は「今後50年間にわたって(このような香港独自の)高度の自治を認める」と保障し、「一国二制度」と呼ばれる。

しかし、それが口約束で終わるのではないかと香港人はことあるごとに危惧しており、今回、条例改正の動きを機にそれが激しい抗議行動として現われた。

3以下は、私なりに記録しておきたいことです。

(1)リーダーシップをとったのは、2014年の「雨傘運動」で活躍した人たち。あの時は結局成果をあげられなかったが、「私たちは必ず戻ってくる」と約束した、その通りの行動になった。彼らは2016年に「香港衆志(デモシスト)」という政党を結成。但し、うち幹部3人は「雨傘運動」を扇動した罪で服役中。

(2)これだけ大規模に広がったのは、習体制のもと中国本土の管理・統制が強まっていることへの危機感があることはもちろんだが、6月4日に天安門事件の30周年を迎えたことも大きい。

天安門事件がオープンに記念されたのは、中国広しと言えども香港だけ。あのとき鎮圧された抗議の精神が、30年を経て再び火がついた」(タイム誌)。

(3)この「デモシスト」の結成メンバーの1人、周庭(アグネス・チョウ)さんが来日して6月10日、東京の日本記者クラブで記者会見を開きました。

f:id:ksen:20190621094147j:plainYou tubeで見られます。

https://www.youtube.com/watch?v=U8qpLjbKjEg&feature=youtu.be

彼女は日本のアニメが大好きで、独学で日本語を学んだ由。この日の会見も日本語でした。日本語のツイッターもあります。立派なものです。

彼女は、いま22歳の大学生ですが、「雨傘運動」のときは17歳、香港の民主化運動の「女神」と呼ばれ、象徴的な存在だそうです。

以下は当日参加した記者の感想です。

――「条例が改正されれば、中国本土への容疑者の引き渡しが可能になる。自治が認められているはずの香港に、中国の(司法の独立のない、共産党指導の)法律が適用される懸念が強まるのだ。周さんは、香港人のみならず、観光客や駐在員にも恣意的な法の執行の懸念があると強調し、国際社会に連帯を訴えた。

また彼女は、会見で「怖い」という言葉を何度も使った。巨大な中国政府を相手にすることは「しんどい」と、率直な感想を述べた後、「私が一番好きな場所は香港です。香港は私の家だから、簡単にあきらめません」と、自分に言い聞かせるように答えてくれた。そして、「試してみないとわからない。わからないから、試さないとだめだと思います」と言葉を続けた。―――

(4)周さんの日本語のツイッターは https://twitter.com/chowtingagnes

英語が公用語の香港の若者はもちろん英語で世界中に発信しています。SNSの威力を感じます。

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4.大規模デモを受けて、香港の行政長官が謝罪し、条例改正の延期を発表しました。しかし、エコノミスト誌は20日付の報道(電子版)で、「事態は収束しておらず、混乱はまだまだ続きそうだ」と以下のように報じています。

(1)6月16日(日)に続いて、21日にもデモ。中国への返還記念日7月1日には、さらなる大規模な抗議デモを主催者は呼びかけている。

(2)中国(共産党)は、今回の条例改正を強く支持しており、抗議デモは外国からの陰謀だとの姿勢を崩していない。

今年の10月1日は、建国70周年を祝う節目の年であり、何より面子を重んじる彼らは、自らの判断ミスを決して認めないだろう。香港行政府の対応にフラストレーションを高めている筈である。

5.(1)このように、両誌は、周さんが記者クラブで述べたように、「巨大な中国政府を相手にして抵抗がいつまで可能だろうか」と危惧する人たちが香港にも、英米の専門家にも少なくないことを伝えています。

(2)エコノミスト誌の論説は、「22年前に香港が中国に返還されたときには、「二つの制度」は共存していくだろうと皆が考えていた。しかし、デモ参加者が今回明らかにしたように、そういう方向にはなりそうもないようだ」と悲観的なトーンで終わっています。

1997年時点で英国は、50年も経てば中国自体も民主化するだろうと楽観的だったのかもしれません。しかし、事態はむしろ逆の方向に動いているようです。中国共産党は、民主化に一層背を向け、国内での自由や人権の抑圧を強めており、二制度を守る意思など持っていない。むしろ、今中国がここまで成長し、貧困を抜けだした5億人の中間層が豊かさを享受しているのは、一党支配の強力な指導と管理があったからで、西欧流の民主化はむしろ弊害をもたらす、これが彼らの公式見解でしょう。

しかも気になるのは香港の中国に占める重要性です。返還時、香港は中国GDPの15%強を占めていた。いま中国本土の経済急成長でその比率は2.9%まで下がっている。中国はむしろ香港の経済的重要性を弱めようとしているのではないか。

f:id:ksen:20190621093832j:plain(3)返還時の50年後と言えば、今から28年後の2047年、中国が建国100周年を迎える2年前になります。

周庭(アグネス・チャウ)さんは50歳になっている。

そのときまで、彼女は無事でいられるでしょうか?

そのとき、香港の自由と民主主義はどうなっているでしょうか?

英米の主要メディアは、そういう懸念や危惧を抱いている人たちと彼らの言動を伝え、だからこそ今回の抵抗に意義があり、英米も率先して支援すべきだと訴えています。

6.

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しかし、目下、保守党の党首選びと新しい首相の登場に向けて党利党略に明け暮れている英国の政治家たちには、いまとてもそんな余裕はなさそうです。

香港特集の前々号の同誌は「次に来る打撃:英国憲法」と題し、議事堂がダイナマイトを抱えている写真を表紙に載せました。

記事では、今回のBrexitをめぐる混乱が政治問題だけではなく、英国が誇り、世界にとって理念型・モデルと言える「議院内閣制」と「英国型憲法」の大いなる危機でもあることに警鐘を鳴らしています。

 

 

 

 

 

大学セミナーハウスとラグビー「ワールド・カップ」

1.「日豪合同セミナー」に参加するため、6月の週末に一泊した「大学セミナーハウス」について、少し記録しておきます。

f:id:ksen:20170618115037j:plain(1)ここは、大学や企業などがセミナーなどに使用している施設で、八王子郊外の丘陵地に1965年に建てられ、

「吉阪隆正(当時早稲田大学教授)の手による幾多の名建築のなかでも、その誕生の経緯や出来上がった空間のユニークさにおいて際立っている」

早稲田大学建築学科のサイトに出ています。

http://www.arch.waseda.ac.jp/2504/

(2) 1999年「日本の近代建築20選」に選ばれ、2017年には本館が「東京都選定歴史的建造物」に指定されました。本館の写真を載せましたが、「地面に三角形の楔(くさび)を打ち込んだような一種、異様なデザイン」です。

(3)初代館長と吉阪とは、当時まだ新しかった「セミナー」という概念は何かを考え、それを具体化する新しい空間をつくろうとしました。

それは、吉阪の言葉によると、

「新しい大学のあり方を、ここ柚木の丘に打ち立てるべく楔を打ち込んだのだ」、

「入口は狭いようでも、中へ入ると広く深く、あちらこちらはずーっとつながっていて、学問とはそんなものだ」、

「一人一人が己の城を持つことが、自分の意見をもつようになるもとだ」・・・

f:id:ksen:20190616080644j:plain(4) 「大学セミナーハウス」の英文名はInter-University Seminar Houseといい、大学を横につなぐ「セミナー」を考えていることが分かります。

なかなかユニークな、意味のある施設で、その後も創立者・設計者の思いがうまく生かされ利用されているといいなと思いました。

(5)緑の中に、さまざまな建物が散在して、写真2は私たち講師が泊まった建物。3は講堂で全体会が開かれました。

f:id:ksen:20190616080807j:plain2.この講堂で、6月2日の朝、某大学の教授から「ラグビーからみるオーストラリ社会の変貌」という話を聞きました。知らないことが多く、私には興味深かったので、以下に簡単な報告です。

(1) 今年9月20日から、日本でラグビー(ユニオン)のワールド・カップが開催されます。同カップは1987年が第1回。今回が9回で、前々回はニュージーランド(NJ)、前回2015年は英国でした。

私事ですが、長女とその亭主が大ファンで、共働きというのに休みを取って、NJにも英国にも観戦に行きました。

(2)2015年には日本代表チームが優勝候補南アに逆転で勝利、「史上最大の番狂わせ」と言われました。

試合の最後の最後に南アに反則があり、フリーキックで同点・引き分けに持ち込むか、よりリスクの高いスクラムを選んで逆転勝利を狙うかの選択に迫られた。監督はキックを指示したがキャプテン以下選手の判断でスクラム戦術を取って成功したというものです。

この試合を長女夫婦は現場で観ており、大興奮でした。私もたまたまロンドン郊外の娘の家にいてTV観戦をしており、ブログにも2回載せました。

https://ksen.hatenablog.com/entry/20150919/1442688165

https://ksen.hatenablog.com/entry/20150927/1443302690

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3.ところで、オーストラリア代表チーム「ワラビーズ」は、今回を含めて9回にすべて出場、うち優勝2回準優勝2回という強豪チームです。

(1)そのチームが今年はどうか?

講師(筑波大学ラグビー選手だった某大学教授)がいろいろと話してくれました。

今年の予想は、「予選を1位通過の場合、本選で最初(QF準々決勝)にあたるだろうアルゼンチンへの勝率は6割、2位通過の場合イングランドへの勝率は50%。

QFで敗退の可能性があるが、勝ってSFに進出したら希望的観測通り、決勝に進出したら大成功、優勝はない」と言う見立てでした・

注目選手は、デヴィッド・ポーコックとカートリー・ビールの二人。前者はジンバブエからの移民、後者は先住民アボリジニ出身。

講師によれば、ポーコックは、もし「地球最強のチーム」をつくるとしたら15人のメンバーの1人に必ず選ばれる、ビールは控えに選ばれるかも、だそうです。 

(2)因みに、日本代表チームの予想は?という質問には、

「答えにくいし、希望的観測が入るが、予選でスコットランドを破って本選に出られると思う、しかしQFで負けるだろう」でした。 

4.話は「ワールドカップ予想」のほか、(1)ラグビーの起源、(2)オーストラリアのラグビーの歴史(3)その特徴と現状、(4)代表選手の人種の変化など多岐にわたりました。

簡単に触れておくと、

(1)については、英国パブリックスクールで盛んだったため、エリ―ト・スポーツのイメージが強く、アマチュアリズムの精神を大事にし、プロ化(1996年)が遅れた。

そのため、サッカーとともに、13人制のラグビー・リーグが先にプロ化して優秀な人材が流れた。豪州にはさらに「オージー・ルール」という独自のフットボールがあり、実はこれがいちばん人気があり、優秀な人材確保はさらに難しかった。

f:id:ksen:20190602110613j:plain(2)したがって、「パワーでねじ伏せるゲーム」は出来ない。

細かいスキル、綿密に計画された攻撃、システムで守る防御、走るフォワード、浅く狭く前に出るバックラインなどに特徴があった。

(ということで、講師は過去の試合のさわりを「You tube」で見せてくれました。

例えば、1984年、マーク・エラ選手が4試合連続4トライという偉業で、グランドスラムを達成した様子など。

https://www.youtube.com/watch?v=Z5FaS7JaHjU

(これは素人が見ても面白い)

因みに、グランドスラムというのは、イングランドスコットランドウェールズアイルランドの4チーム全てに勝つことを言うのだそうです。

英国はラグビー起源の国ですから(サッカーも)、今でも4つが別々の代表チームを作ってワールドカップに出場します。しかも発祥の国ということで、ここに勝つことは特別の意味があるのでしょう)。

(3)このようなオーストラリアのラグビーのスタイルは、1980年代から21世紀初めまでは、世界の潮流を作った。

➜しかし、他国に模倣されて比較優位の消滅。

その後の、新しいアイディアは主にニュージーランドからーーーアンストラクチャー、オフロードパス、キックパス、アンブレラディフェンス・・・・(注―私にはちんぷんかんぷんで何も分かりません)。

他方で、プロ化以降は、フィジーサモア、トンガ等からの移民が代表チームにも選出されて人種構成が多様化した。

また優秀な人材が多少ラグビー・リーグから戻ってきた。

f:id:ksen:20190602112207j:plainしかし、2000年代後半以降は、オーストラリアのラグビー代表チームは長期「低迷」にあるーーーーー

というのが講師の見立てでした。 

(4)最後に「代表チームの国籍条件について」質問が出ました。「オリンピックやサッカーの国別代表資格はその国の国籍保持が絶対条件だが、ラグビー(ユニオン)は“3年間居住していること”などの条件はあるが、国籍の保持は不要。それもあってオリンピックに出られない。これをどう思うか?」という質問です。

講師からは、「個人的は良い伝統だし、100年後は分からないが、今後も続くのではないかと思う」という返事でした。

 

第40回日豪合同セミナーとカウラ事件のこと

1.また1週間前の話ですが,6月1日~2日の週末、「第40回日豪合同セミナー」に参加し、八王子にある大学セミナーハウスに1泊してきました。

f:id:ksen:20190601122029j:plainセミナーハウスは多摩丘陵につくられた広い敷地のあちこちに、セミナー用の部屋、ホール、宿泊用の建物などが散在しています。

梅雨入り前で曇り空ですが、山の上でもあり、湿気もなく快適でした。大学が合宿ゼミなどに活用しているようです。

2.日豪合同セミナーは、「オーストラリア大好きの人たちのための、オーストラリア大好きの人たちによる、オーストラリアについての勉強会」だそうです。

「・・・参加者が、将来、草の根パワーの一つとなって、日豪間の人的、文化的交流促進のため、多少なりとも貢献することができれば素晴らしい、それこそが、セミナー開催の最大の目的と思います」

―――こんな言葉がプログラムに書かれています。

3.私はシドニーに25年昔、3年半暮らしましたが、気候もよく、災害も少なく、寛容で陽気な人たちが多く、街並みや自然も美しく、楽しく過ごしました。

日本はバブル景気が終わった直後でしたが、まだ元気で、豪州にとって大事な貿易相手で、観光客も山のように押し寄せて、日本資本のビルやホテルやゴルフ場があちこちにできて、日本人にとって大いなる魅力ある楽園でした。

ところが、この25年で、豪州は右肩上がりの成長を続け、他方日本は「失われた何十年」が続きました。豪州にとって、当時の日本の存在感はいま中国にとって代わられたのではないかと思います。

それでも、このセミナーに合わせて、駐日大使からのメッセージが寄せられましたが、大使が「・・・・時代がたえず変化する一方で、両国はインド太平洋地域で緊密な友好関係を維持しています」と書いてあるのは間違いないでしょう。

f:id:ksen:20190602074852j:plain4.初日は、「多文化主義」についての基調講演のあと、5つの分科会が2時間。

夕食のあとワイン・パーティさらに有志が集まって深夜まで二次会。翌日は分科会の報告のあと、「ラグビーからみるオーストラリア社会の変貌」と題する講演があり、12時に解散。参加者は一時は200名を超す盛況だったそうですが、昨今は70名前後と低位安定しているそうです。

私は、縁があって分科会の講師を頼まれて、「ラッキー・カントリーの昔と今」と題して参加者と話し合いましたが、なかなか面白かったです。

プログラムの「大好き人間による大好き人間のためのセミナー」といううたい文句から、昔シドニー駐在の外交官の某氏に聞いた「イタきちに豪州馬鹿」という言葉を思い出しました。

今では差別用語かもしれませんが、当時外務省の中ではこういう言葉があって、イタリアと豪州に勤務した外務省の人たちは、おしなべてこの2つの国が大好きになって帰国するそうです。

今回、分科会やその後のパーテイで知り合った「大好き」人間は、私が勤務時に知り合った、金融、鉄鋼、商社などの企業人、つまり私を含めて組織の辞令で転勤してきた人たちとは違う人たちが多かったです。

それぞれが自分(たち)の意志や思いでこの地の暮らしや人々との交流を選んだ人たちが主体でした。

例えば、オーストラリア人と結婚してから関わりが出来た広告会社勤務の男性、交換留学生として留学した若い女性、思い立って夫を説得して夫婦で仕事をやめてシドニーに移住し、5年暮らし、旅行会社で働いたという女性、ほぼ毎年のように休暇を取ってオーストラリアの各地で開催されるマラソンに出場しているというIT会社勤務の男性・・・・などです。

中には、企業経験者もいますが、大企業ではなく、新聞社や小ぶりの会社から派遣されてシドニーで暮らしたという人が多いように感じました。

そういうことも理由としてあるのでしょうか。セミナーは実行委員会が企画運営しますが、全て手作り、ボランティアの活動です。皆が実に楽しそうに働いています。

f:id:ksen:20190601135857j:plain5.そういう人たちの中で、印象に残った某氏の事例を以下に紹介します。

彼は、「コール・ファーマー(農夫)」という名前の東京農業大学OBによる男性合唱団のメンバーです。

この合唱団が1977年から40年間続けて隔年ごとの海外演奏旅行をやっていて、その目的地の中に必ずオーストラリアのカウラがあると話してくれました。

彼は第1回の時はまだ学生で、その後、サラリーマンになっても毎回参加している。

昨年の9月が20回目になる。カウラの人たちはいつも歓待してくれる。団員はホームステイをしてすっかり仲良くなる。昨年10月には第1回演奏旅行の際に団員をお世話した方が、カウラから姉妹で来日した・・・などなど。

これこそ、「草の根の日豪交流」の良い事例だと思い、彼には、「多くの日本人に知ってほしいですね」と話しました。

6.アジア・太平洋戦争中の出来事、カウラ捕虜収容所の脱走事件については、あまり知られていないのではないでしょうか。

(1)戦争中、日本と豪州は敵国で、日本軍は、豪州北部の都市ダーウィンを始め、100回近い空爆を実施し、400人以上の豪州人が死亡した。

シドニー湾には特殊潜航艇が潜入して攻撃、乗員のほか豪州人19人が死亡。この際、豪州側は乗員を正式な海軍葬で弔い、遺骨を交換船で日本に戻した。

(2)カウラはシドニーの西320キロ離れた町で、捕虜収容所が作られ、多数の日本人やイタリア人などの捕虜が収容された。

日本人捕虜が約1100名、うち500名以上が1944年8月5日脱走を試み、結局豪州人4人を含む235人が死亡した。

(3)脱走の原因はよく分かっていない。

豪州側の捕虜の扱いは手厚く、強制労働もなく、警備もゆるく、かなりの自治も認められていた。「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)を教えられた日本軍人は、偽名を名乗る者も多く、捕虜になったことを家族にも知らせず、日本政府も公表しなかった。

イタリア人の捕虜が故国の家族に自由に手紙を書いたのと大きな違いがあった。

こういう追い詰められた精神状態が、いわば自死の変型として脱走を試みたとする見方が有力であり、「死ぬための脱走だった」という生き残りの兵士の証言もあります。

f:id:ksen:20190608153926j:plain因みに、岡山の高校生がこの悲劇を調査した貴重な・よく出来た9分半の映像があります。現地にも行き、「日本は軍国主義の変わった国で、私たちにはまったく理解できなかった」というオーストラリア人の言葉も聞きます。

https://www.youtube.com/watch?v=nS9GO11ofd4

(4)戦後、カウラの市民は市長が率先して収容所の跡地に墓地を整備し、日本庭園もつくり、桜も植え、毎年、供養をかねて式典を行っている。

日本人会も応分の協力を行っており、私も滞在中、カウラを訪れたことがあります。

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7.そういう、戦争中の悲劇のあった場所と出来事を風化させることなく、カウラの市民がこの墓地を管理し、守り続けていることには頭が下がります。

そして今回初めて知ったのですが、「コール・ファーマー」の人たちが40年も現地訪問を続けていること。昨年9月の訪問の模様をブログに載せている方がいますので、以下に引用させて頂いて終わりと致します。

http://chor-farmer.blogspot.com/ 

「(演奏会が終わって)、

・ホストファミリーが中心となり、BBQランチを開いて下さいました。 キャンベラから演奏会に来て下さった日豪協会の方々も同席されました。 会場の日本庭園は春の訪れを感じる日射しと咲き始めた花々が印象的でした。 昨晩の演奏会やこれまでの交流の思い出、来年日本で行われるラグビーワールドカップなど、話題は尽きませんでした。

・別れの朝、豪州兵墓地では「Abide with me」を、日本人戦没者墓地では「旅愁」を献歌。 私たちは万感の思いを込めて歌いました。」

 

欧州議会選挙も面白いか?英国での投票結果は?

1.今回は、週末に豪州がらみのイベントで家に居ないので、少し早めにブログをアップ致します。

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前回は、5月18日に実施されたオーストラリアの選挙が面白いと書きました。

因みに、この国は日本と関係が深いのですが、その割に知られていないのではないかと残念に思っています。そんな思いもあってこの国の、ユニ―クな、「世界で最も完璧に近い選挙」と言う人もいる選挙制度について紹介しました。 

事前の「予想」を覆した与党の勝利は、英国エコノミスト誌やニューヨーク・タイムズは辛口の意見も寄せています。経済を重視するあまり「気候温暖化」への対策が弱腰な与党の姿勢を批判しています。

保守的かつ改革に臆病・慎重だという指摘で、その点はそうでしょうね。ただ、中道路線ではあって、極右ポピュリズムでは全くない。同じ「予想外」の選挙結果であっても、トランプ勝利や英国ブレクジットと異なり、「人種差別、外国人嫌い、移民」などが争点にはなっていない­­­ーーこの点は英米のメディアも認めています。

f:id:ksen:20190527133425j:plain2.「極右ポピュリズムナショナリズム」と言えば、5月23^26日に実施されたEU(欧州同盟)の立法機関である欧州議会の選挙です。

(1)EU欧州連合)加盟国で5年に1度、4億人以上が投票権をもち、400の政党・約5000人の候補者の中から選びます。今回、英国も参加。

民主的な選挙としては、先般実施されたインドに次いで世界で2番目に大きな選挙。

(2)この選挙が果たして豪州の選挙のように面白いか?私が面白いと思ったのは、日本と英国のメディアとで報道の姿勢が少し違うなという点です。 

3.日本では27日の夕刊が取り上げました。

(1)日経は「EU懐疑派が伸長、欧州議会選、仏・極右が第1党へ」です。

翌28日朝刊は「EU統合試練、懐疑派3割」という見出しで解説記事を載せ、「移民問題や財政規律などで対立が深まり、欧州統合にブレーキがかかりかねない」と危惧しています。

f:id:ksen:20190528125103j:plain(2)東京新聞は、同じ27日夕刊1面で「親EU二大会派半数割れへ、仏伊極右第1党」の見出しで、2面には「極右伸長「すべてが変わる」。英離脱党が圧勝」と題して、フランスのルペン、イタリア、英「離脱党」党首の3人の得意満面の写真を載せました。

f:id:ksen:20190527180454j:plain(3)これらの見出しも本文も、ほぼ間違いではありません。(「ほぼ」と書いたのは、後述するように、懐疑派は3割に達しなかった)。

(4)他紙の見出しと本文もほぼ同じでした。

しかも、これらの速報以後も、「EU懐疑派の政党が加盟国で勢力伸ばす」、「合意形成が困難になるとみられ、機能不全に陥る懸念もある」、「EUは岐路に立っている」(何れも29日)など、日本のメディアは、EUの不安定化を望んでいるのではないかと勘繰りたくなるぐらいです。

4.ところが、電子版で読んだ27日の、英国のエコノミストThe Guardian紙の2つのクオリティ・ペーパー、そしてロイター通信や日本のNHKに当るBBC,これらの見出しと本文は,ニュアンスを異にします。

(1)エコノミスト誌の見出しは―「欧州議会選で、ポピュリストは期待されたほど伸び

なかった。極右の政党は議席を増やしたが、その点は、リベラルと緑の党も同じだった」

(“Populists fall short of expectations in the European elections. Far-right parties have gained, but so have liberals and greens”)

(2)BBCは―「二大会派は過半数を得られなかった。増えたのは、リベラル、緑の党、そしてナショナリストだった」。

(3)エコノミスト誌の本文のさわりは以下の通りです。

・今回、投票率は51%、選挙開始以来の高い数字。

・確かに、極右ポピュリストは議席を増やした。しかし、数年前に彼らが欧州を席巻するのではないかと懸念された勢いは終わった。彼らはむしろ分断されている。

EU懐疑派あるいは超右翼は議員全体の21%から23%へと微増にとどまった。

・同じようにEU支持派も分断され、二大会派は過半数を得られなかった。リベラルや緑の党との多数連立を組むだろう。個々の意見の違いはあり、調整は時に難航することもあるだろう。

・しかし今回の結果は決してポピュリスト(&懐疑派)の台頭ではなく、EU議会がより新しい、多極化した様々な政党・意見の集合体になったことを示している。

5.日英でどうして、こんなに姿勢が変わるのだろうか?と考えると面白いです。

(1)いろんな理由があるでしょうが、日本のメディアは本件は所詮他人事であり、読者に面白い記事を提供したいという気持ちが働く。そのためには「極右・懐疑派が議席を増やした。EUの将来が心配だ」という記事の方が面白い。

(2)対して、エコノミスト誌などは、当事者としてより真剣にEUの将来を考えている。その立場からすれば、極右はたしかに議席を増やした、しかし予想ほどではなかった、同じようにリベラル&EU支持派も伸びた、と伝えたいと考えるのは当然でしょう。

(3)何れにせよ、読者に「面白く」読ませるという意識があまり強く働くのは少し無責任な感じがします。

(4)因みに、エコノミストは、「ヨーロッパの勝利だ。投票率は高く、EU支持派は強かった」というルクセンブルグ首相の言葉も引用しています。

f:id:ksen:20190527160032j:plain(5)そもそも、同誌(紙媒体)は選挙前の5月18日号で「欧州議会選挙」について3頁の記事を載せています。

ここで同誌は、「ここ数年、EUに対するメンバー国の国民の信頼は上がっている。昨年9月の世論調査で、EUに肯定的な回答は62%、否定は11%に過ぎない」と紹介しています。そしてEU離脱(Brexit)をめぐる英国の混迷ぶりもその理由の1つにあるのではないかと推測しています。

f:id:ksen:20190527143059j:plain6.最後に、その英国は,今回の選挙でどうだったか?

(1)ここでも日本のメディアは「離脱党が第1党」を強調した。

(2)他方で英国のメディアは、「既成の保守・労働の2大政党が歴史的な惨敗。「離脱党」が第1党だが、「残留を支持する自由民主党(日本の自民党とはまるで違います)と緑の党が同じように票を増やした」と伝えました。

(3)この点をGuardian紙によると,

・英国での投票率は37%で平均51%を下回った。

・45日前に結成されたばかりの「離脱党」がトップになった。

・しかし、「保守・労働」を除いて「離脱」組と「残留」組をそれぞれ合計した投票は、前者が5.9百万票、後者6.8百万票で、「残留」が上回った。

・仮に、保守党に投票した人の8割、労働党の4割が「離脱」と推定して両者の票を加えても、8.1百万票対8.7百万票と「残留」が上回る。

・しかし、Brexitをめぐって英国の世論が依然として真っ二つに分断されていることは事実であり、混迷はさらに続くと懸念される。

・問題は、離脱派は「離脱党」に的を絞って支持し、残留派は、リベラルや緑の党など分裂したこと。

かつ、前者は離脱党のファランジ党首や保守党のボリス・ジョンソンのように、(見かけが派手な人気取りの得意な)「表看板(figurehead)」を抱えているのに対して、残留派にはそのような存在がいないことである。

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(4)このように、一貫して「英国のEU残留」を支持しているリベラルなThe Guardian紙は、現状を冷静に分析しつつ、今後の更なる混迷に大いに懸念を表明しています。

メイ首相の辞意表明を受けて行われる保守党の党首選では、この離脱強硬派のジョンソンが最有力との予想だそうです。ここでも「予想外」が起きるといいのですが・・・・

 

PS.冒頭に写真を載せたように、我が家のおんぼろ車には、高齢者マークと一緒に、なぜか昔からEUのスッテカーが貼ってあります。

 

オーストラリアの総選挙が面白い

 1.また、先週の日曜日(19日)の話からです。私事ながら、在英国の娘の手伝いに出かけた「空飛ぶ婆や」と呼ばれる家人が2週間ぶりに帰国しました。

東京は老夫婦2人の暮らしにまた戻り、ほっとしているところです。

先週後半から暑くなり、晴れた日は簡単な昼食を、小さな庭にパラソルと椅子・テーブルを出して緑を眺めながら頂きました。庭の隅に4年前に調布の神代植物園で買った薔薇が今年も小さな花を咲かせました。こんなに毎年元気に咲き続けるとは予想外です。

f:id:ksen:20190523095050j:plain2.予想外と言えば、5月18日にオーストラリアで3年ぶりの総選挙が実施されて、与党が勝利しました。今回はその報告です。

豪州は、2大政党が強く、今回も下院150の定員のうち中道右派の自由・国民連合が77議席中道左派労働党が67議席、その他は残り6に過ぎません。

前回の総選挙(2016年)以来、支持率の世論調査ではずっと労働党がリードしており、殆ど全てのメディアが直前まで「野党勝利」を伝えていただけに、予想外の結果でした。

豪州のメディアは「奇跡」と呼び、トランプ勝利・英国のEU離脱国民投票(何れも2016年)と並んで「三大予想外の出来事」と指摘しています。

f:id:ksen:20190518121433j:plainシドニー在住の某さんからメールを貰いましたが、

「2013年に政権交代があり、以後保守連合は、労働党の残していった財政赤字を5年かけて健全化し、その実績をアピールする手堅い現状維持の実用主義型路線。

他方で、6年ぶりの政権奪回をめざす労働党は、若年層が一番の関心を示している環境・エネルギー問題を大きな目玉政策に掲げ、より良い医療、教育、賃金のための支出を増税によってまかなう理想主義路線」

と整理してくれましたが、経済重視の現実路線の選択が理想主義を上回ったということでしょうか。

他方でリベラルを標榜する英国エコノミスト誌は、与党勝利なら豪州の気候変動への取り組みがさらに遅れると懸念を表明しています。

豪州は平均気温が上がり、昨年の夏(日本の冬)は災害も多く、干ばつや日照りで農業・牧畜業などが大きな被害を受けました。エネルギーを石炭に依存するため、人口あたりのCO2排出量は先進国ではきわめて高い。 

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3.今回の与党勝利について、メディアは3つの勝因をあげています。

(1)昨年夏に自由党の党大会で前首相ターンブルに挑戦して首相の座をかちとったスコット・モリソン首相が初めて総選挙で国民の信任を得たわけだが、彼のキャラクターを売り込む戦術がうまかった。

「スコモリ(ScoMori)という愛称で呼ばれ、いつでもどこでも野球帽をかぶって現われ、庶民的、気さくなおじさん、いかにもオーストラリア人らしい陽気なイメージを売り込んだ。

「何て素晴らしい(How good is~)」をキャッチフレーズにして、勝利確定直後のツイッターでも、「オーストラリア(人)は何と素晴らしい(How good is Australia!How good are Australians!)と祝った。選挙中も「オーストラリアは世界でいちばん」と繰り返し、国民の自尊心を掻き立てた。

(2)政策論争において、労働党は自らの政策を強く訴えたのに対して、与党はそれが「大きな政府」路線につながることを攻撃し、自らの政策の弱点については触れなかった(気候温暖化、エネルギー対策、先住民対策などの遅れ)

(3)そして、経済に力点を置いた。過去28年間、一度も景気後退のない、常にプラス成長の経済(先進国では豪州だけ)をこれからも維持できるのは我々だと経済運営能力の高さを訴えた。

例えば、大規模な石炭鉱山の開発にインド資本が乗り出すプロジェクトについて、環境破壊を懸念する野党に対して、雇用が増えるメリットを主張した。 

4.というのが今回の豪州の総選挙の総括です。以下、感想になります。

(1)選挙で予想が外れるというのは、やはり面白い。例えば、日本でも予想外の結果になる選挙があり得るだろうかと考えてしまう。

(2)二大政党制が機能しているという印象を受ける。今回は与党が過半数を守ったが、最後まで野党の優位が予想されていたように、いつも接戦になり、政権交代の可能性と緊張感が常に存在し、与野党とも政策論議を真剣に行う。

この点は、日本は論外だが、例えば英国でもEU離脱をめぐる混迷から、小政党が生まれて従来の「保守・労働」の構図が変わってきている様相と比べても、安定した民主主義が機能しているといえるのではないか。

(3)そして、その二大政党制が、アメリカのような「世論の大きな分断」をひき起こしていない。

もちろん与野党の政策の差はあるが、両方ともに「中道右派」「中道左派」と呼ばれるように、両極化するよりも「中道」が軸になっている。トランプ以後のアメリカとの大きな違いである。

f:id:ksen:20190518121426j:plain5.このような政治社会の状況の背景には、この国の選挙制度があるというのはよく言われることです。

前にも紹介したことがありますが、

(1)総選挙に投票することは国民の義務であり、強制される。正当な理由がなくて投票

しなかった場合は、罰金を払わされる(20豪ドル、約1700円だそうです)。

従って投票率は毎回90%を超える。

(2)ということもあって、選挙はある種の「お祭り」的な雰囲気を帯びる。学校や教会などに設定される投票所の周りには、ボランティアによる屋台が設置されて、ホットドッグが提供される。

某さんからも、「子供連れ、犬連れとファミリーできている人たちも多く、小さい時から親が投票をする姿を見て育った子供達は、自然と選挙日には選挙をするということが身につくのではないかと思いました」とありました。

(2)単純多数決ではなく、「優先順位付き連記制」であること。投票者は候補者1人を選ぶのではなく、全ての候補者に優先順位をつけて投票する。

(3)このような選挙の効果として指摘されるのは、

・強制であることから、低所得層や少数民族投票率を上げることができる(黒人やラテン系や若者の投票率の低さがアメリカの選挙ではいつも大きな話題になる)。

・この結果、少数派や低所得者の意向も反映されやすくなる。

・しかし同時に、二大政党は、自分たちのコアな支持層に訴えるだけでは選挙に勝てない。トランプのように「何より味方を大事に、敵を徹底的に叩く」戦略は効果的でない。従って双方ともに政策は「中道」寄りになる。

f:id:ksen:20190523103335j:plain6.ということをいろいろ考えると、スコモリ首相が言うように、豪州が「How good is~」かどうか、「世界でいちばん」かどうかは分かりませんが、なかなか魅力のある国だなと改めて感じます。

昔から「ラッキー・カントリー(幸運な国)」というのがこの国の代名詞ですが、先ほど紹介した在豪の日本人某さんからも、こんな感想をもらいました。

―「オーストラリアの現在の繁栄は移民政策が成功している賜物で、多民族国家としてま全く問題がないわけではありませんが、全体的に穏やかで平和な社会を築いているように感じています。

そして、オーストラリアの福祉政策は本当に行き届いていて、国民はたいへん恵まれていると思うのですが、オーストラリア人はそれをあまり感じていないのが気になります。

 この国は、ラッキー・カントリーであるだけではなく、クレバー・カントリーでもあるなあと感じています。」―

 もちろん豪州にも課題はたくさんあります。

前述した気候変動問題、移民政策、対中国政策など。中国問題については、3月17日ブログで『静かなる侵略、Silent Invasion, China’s influence in Australia』という本を紹介しました。https://ksen.hatenablog.com/entry/2019/03/17/075519

 これから豪州はこれらの課題にどのように取り組んでいくか、興味を持っています。

 

京都での平井元喜ピアノ・リサイタルで会った人たち

  1. 今回も1週間前の日曜日(5月12日)の話です。12日は、ブログをアップしてから家を出て、1泊で京都まで行きました。

f:id:ksen:20190512145432j:plainまだ基本的には静養中で腰も痛いのですが、接骨医から「歩きすぎない、重い物は持たない」などいろいろ注意をもらって久しぶりの遠出でした。しかし家人もいない家で一人で居るより、気分転換になりました。生のピアノの音を聞き、親戚や友人に会い、おいしい料理も頂きました。

人に会っても腰をかがめると痛いので、その点をお詫びしてお辞儀は適当にすませました。

京都は長い連休の直後でもあり、葵祭の3日前でもあり、(京都にしては)人出が少なく、新緑のきれいな良い季節でした。

2.まず、ピアノの話です。

(1)カトリック聖ヴィアトール北白川教会でのチャリティコンサートでした。

教会は北白川の閑静な住宅街にあり、立派な建物です。洛星という京都でいちばんの進学校中高一貫の男子高がこの系列だそうです。

当日は、平井元喜という英国在住のピアニスト兼作曲家の演奏で、主として海外で活動しているので日本での知名度は高くありませんが、補助席も出て200人以上が来てくれて盛会でした。

神戸から来てくれた友人の高橋さんは、自らもチェロを弾くアマチュア楽家ですが、「予想を遥かに越えて充実したコンサートでした。平井さんの清冽なピアノの響きと、素敵な曲(Grace and Hope)には感嘆しました。シューベルトも印象に残りました」という評を頂きました。

「Grace and Hope(祈り,そして希望)」は2011年、東北大震災の鎮魂の曲として元喜が作曲したもので、彼はたまたま3月11日生まれということもあって、以来度々ロンドンをはじめ海外で復興支援のコンサートを開き、東北にも何度も訪れています。

f:id:ksen:20190518101500j:plain高橋さんが自身のフェイスブックで、この曲のYouTubeを紹介しておられるので以下にサイトを載せさせて頂きます。

https://www.facebook.com/masamichi.takhashi/posts/1112231868960916

サイトには、内外の支援活動の写真も載っています。

高橋さんが「印象に残った」というシューベルトは「連禱(れんとう、リタニー)D343」で、もともとは歌曲をリストがピアノ用に編曲、これもまた祈りの曲で、短いが実に美しいです。

これも彼が、元喜演奏のサイトをフェイスブックに紹介してくれました。

https://www.facebook.com/masamichi.takhashi/posts/1114855325365237

キリスト教に無縁の私でも、「主よ、我を憐れみ給え」という祈りをピアノ曲にした旋律は、聴いていて心に深く響きます。

f:id:ksen:20190518101604j:plain(3) 他方で、当日来て頂いた「イノダ」の常連、下前さん・岡村さんのお二人からもコメントを頂きました。

コンサートが終わって教会の別室でお茶とお菓子を頂きながら、暫く皆で立ち話をしたのですが、下前さんはその際、元喜に頼んで指に触らせてもらったそうで、面白いことをするものです。ご本人も指を使う仕事なのでピアニストはどんな指をしているか、興味があったと話してくれました。

(4)また、岡村さんは、ノルウェイの作曲家グリーグの「トロルドハウゲンの婚礼の日」を聴いて、ご自身の旅行を思い出したようでそのコメントです。

因みに元喜はグリーグの曲が大好きでよく弾きます。ノルウェイでも演奏したと当日の演奏の間の「トーク」で披露したので、岡村さんはこう書いてくれました。

――演奏中それは何という街だろうか?教会でだろうか?と考えながら聞いていました。終了後ちょっと強引でしたが、(元喜に)話しかけて、教会で演奏し、街はトロムソだと言われました。以前話したアムンゼンの像の前で高校生に広島の原爆投下について質問され驚いたあの街だったのです。その街の教会に僕はのこのこと入って行ったら、赤ちゃんが洗礼を受けているのでこれは不味いかなぁと思って出て行こうとしたら、バタンと戸を閉められてしまい仕方なく席に座ったらどかりと聖書が置かれました。僕の家は浄土真宗大谷派だけどと思いながら信者のような顔をしてうつむいて座ってましたーーーー

何だか、短編小説にでもなりそうなエピソードだなと感じながら読みました。

(5)私は、大好きなモーツアルトハ長調ソナタK330を弾いてくれたので、とても嬉しかったです。

彼は人前でこの曲を弾くのは初めだと言っていました。

私には思い出があって、ヴァン・クライバーンの弾くレコードをまだ20代、1960年代のニューヨークで買って、聴きまくりました。

f:id:ksen:20190519074207j:plainクライバーンはテキサス州ダラス出身。米ソの冷戦たけなわの1958年、モスクワでの第1回チャイコフスキー・コンクールで優勝(アメリカ人を優勝させることに反対意見も出たが、最後はフルシチョフがOKした)。

弱冠23歳の若者の快挙にアメリカ中が沸き、「鉄のカーテンを開けた」と言われ、NYで凱旋パレードもありました。私が長い米国暮らしのスタートを切ったのもダラスで、彼の演奏も聴きました。当時、国民的英雄でした。懐かしい思い出です。

 因みに、K330はモーツアルト22歳、パリ滞在中の作品です。そして旅に同行した母の病死の衝撃と悲哀のさかなに作曲されたK330は、晴朗な美しさにあふれた小品です。「流れゆく悲しさ、言い換えれば爽快な悲しさ、涙は追い付かない」という、モーツアルトを評するよく知られた言葉にいかにもふさわしい曲だと思います。

f:id:ksen:20190512150646j:plain3.最後は、教会から歩いてすぐのフランス料理屋で、おいしい食事を頂きました。従妹夫妻と立命館大の教授夫妻と5人でした。

彼らは京都の大学生と付き合う機会が多く、「いまどきの学生は、勉強はよく出来るのに、常識がないというか、びっくりすることが多い」という話が次々に出ました。

―――従妹夫婦が管理している時雨亭文庫に手伝いに来る大学生が、例えば、お茶の出し方を知らない。「なんで知らへんの?」と訊いたら、「家では親も、ペットボトルのお茶をチンして飲みます」という答え。

普段の家庭のしつけを受けていないのか、常識がない。スマホや携帯の電話しか触っていないせいか、きちんとした電話の受け答えを知らない。ある学生は、電話の応対が出来なくて相手に電話口で叱られたらしく、何と驚くことに、途中で倒れていっとき気絶してしまった(従妹曰く、「これ、ほんまの話」)。

 そうかと思うと、京都に、ちまきで有名な、室町時代から天皇家ご用達だった川端道喜という高級な和菓子屋があるが、ある日、大学生が、

「今日は、川端道喜ではまちを頂いてきました」と報告してくれた。「はまちはないやろ。ちまきとちゃう?」と問い返したら、きょとんとしていた・・・

また、ある日は、島根県の米子を「よなご」と読めない。「こめこ」だったり「まいこ」だったりする。「だって、米原はまいばらじゃないですか」と言われて、「なるほど、そりゃそやな・・・・」

 しかもこういう大学生が皆、「京都大学の、勉強の良くできる賢い子なんやからおどろくわ」―――

というような、他愛もない話で、いい年をした大人が笑い転げました。

お陰で大いに気分転換になりました。

こういう話を京ことばで聞くのも、私のような東京弁でのやり取りと違って、とぼけた味があって、これもまた面白いでした。